宇和島藩 初代藩主:伊達秀宗

①宇和島の歴史

1614年12月28日、伊達秀宗が徳川秀忠より伊予宇和島藩10万石を与えられ、1615年3月18日に板島丸串城(宇和島城)に入城したことから、宇和島藩が正式に成立。
秀宗は仙台藩主伊達政宗の庶長子。
秀宗ははじめ政宗の世子であったが、天下の覇権が豊臣家から徳川家に移り、また政宗と正室愛姫との間に忠宗が生まれたこともあって、秀宗はその立場が問題になった。
このため、政宗は徳川家に秀宗の身が成り立つように嘆願し、大坂冬の陣で政宗と秀宗がともに徳川方として従軍すると、幕府は政宗の戦功と秀宗の忠義に報いるとの理由で宇和島藩を与えた。
宇和島藩伊達家は仙台藩の支藩ではなく新規に国主格大名として取り立てられ、秀忠より「西国の伊達、東国の伊達と相並ぶ」ように命じられた。
ただし、幕府の有力外様大名統制政策の一つで伊達家を東西に分断し、また豊臣家に近い秀宗を僻遠の四国に遠ざける必要があったため、ともされている。
秀宗入府のときの家臣団は米沢時代の「伊達57騎」の中から選ばれたものだったため、仙台藩とは直接関係がない成立だったが、仙台藩は支藩と主張し、特に秀宗の時代はもめごとが絶えなかった。なお、この57騎は政宗が選抜したといわれる。(以上、Wikipediaより)

「幕末・明治の宇和島歴史動画 
ナレーションは元NHKアナウンサー松平定知さん
概要: 「南海に伊達あり、日本に宇和島あり」
 宇和島藩八代藩主 伊達宗城
  幕末に活躍した、四賢候の一人:
   福井藩:第14代藩主 松平春嶽
   宇和島藩:第8代藩主 伊達宗城
   土佐藩:第15代藩主 山内容堂
   薩摩藩:第11代藩主 島津斉彬

 宇和島藩に招いた人物
  高野長英:蘭学者、兵学書翻訳、砲台設計
       軍艦建造研究
  大村益次郎:軍艦ひな形の建造、砲台建造
  市井の職人嘉蔵:純国産第一号の蒸気船を完成
  楠本イネ(シーボルトの娘):伊達家の医師

 慶応二年(1866年)夏:英国公使 ハリーパークス一行が宇和島を訪問

明治以降活躍した人物
 法曹界:小島惟謙(大津事件判決、護法の神様)
 宇和島城上り立ち門(城山南側)の右手前に、小島惟謙先生の銅像が立っています。

現存する藩政時代の遺構「宇和島城上り立ち門」

 法曹界:穂積陳重(日本初法学博士、民法の祖)
JR宇和島駅から5分ほど歩くと、記念碑と穂積橋を見ることができます。

 国文学研究:大和田建樹(鉄道唱歌:汽笛一斉新橋を・・・)
 JR宇和島駅前に記念碑が建てられています。

宇和島駅前

 経済界:土居通夫(第7代 大阪商業会議所会頭)
 政治文学:末広鉄腸(雪中梅)
 

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